台北の市街地にある国父紀念館は「国父」として広く尊敬されている孫文の記念館です。
激しく移り変わる国際情勢の中で、中国をより良い国にしようと革命に立ち上がった孫文は「国父」にふさわしい偉大な人物でした。
この国父紀念館で、孫文の偉大な精神に触れてみましょう。
国父紀念館は、革命家孫文の生誕100年を記念して1972年に台北市街地の東側に建てられた記念館です。
孫文は台湾人にとって最も偉大な英雄であり、そのため「国父」と呼ばれています。
国父紀念館の中央には孫文のブロンズ像があります。椅子にゆったりと座った姿が孫文の偉大さを感じさせてくれます。
この孫文の銅像の左右には衛兵が立っています。衛兵は中正記念堂にもいるのですが、衛兵と写真が撮れるのは国父紀念館だけです。
また敷地内にある「中国宮殿風記念館」には、資料室があり30万冊以上の蔵書が収納されています。国父紀念館の敷地は広大で、その敷地内にある広場では太極拳や社交ダンスなどを楽しむ市民の姿が見られます。
国父記念館は国父紀念館からも近く、台北101の撮影にちょうどよい距離です。国父紀念館の建物の背後には台北101がそびえています。国父紀念館と台北101を1枚の写真に収められる素敵な撮影スポットでもあります。
また、敷地内にある中山公園には翠池からはも素敵な写真をとることができます。
孫文は中国の辛亥革命の指導者ですが、1869年に中国の広州の農家に生まれました。
最初は医者になろうとして香港に赴き勉学に励んでいましたが、当時の中国は政治が腐敗し、貧困に苦しむ人が多数いました。そのことに心を痛めた孫文は医学の道をあきらめ、革命家となり清政府に対抗するようになりました。
1914年には秘密結社「中華革命党」を結成しハワイや日本などに行って革命組織を築きました。この中華革命党が現在の台湾の国民党の前身です。
そして1912年にはリーダーとして辛亥革命を起こし、清政府を倒しました。こうして中華民国ができ、孫文は臨時大統領に就任したのですが、革命勢力が充分力を付けていなかったため、軍閥の袁世凱に勢力を奪われることになってしまいました。
その後、不安定な国際状況の中で、中国共産党との国共合作にも力しましたが、1925年に出向き先の北京でがんのため亡くなっています。享年59歳でした。
孫文の遺体は南京にある見晴らしの良い丘の上に葬られており、孫文は台湾だけでなく、中国でも「国父」として敬われているのです。
孫文は革命家ではありましたが、どちらかというと戦闘的ではなく思想や精神面で民衆を指導した人だと言えます。その教えの中で最も良く知られているのが「三民主義」です。三民とは「民族」「民権」「民生」のことで、中国の救国主義とも考えられています。
孫文は日本でも良く知られた歴史上の人物ですが、孫文の「号」である「中山」という名前が日本と深くかかわっていることはあまり知られていないのではないでしょうか。
孫文は革命の秘密結社の組織作りをする際にハワイから日本に渡っていますが、その時に住んでいた日比谷公園の近くに「中山」という表札のかかった邸宅があり、その名前を自分の号として使うようになりました。
そのため、台湾では中山大学、中山公園、中山路など、「中山」を付けた地名や場所名が良く見られます。また孫文は日本滞在中に多くの日本人と友好関係を結び、そうした日本人も孫文の思想や人柄に心を打たれ孫文の革命活動を支えました。
住所 | 台北市仁愛路四段505号 |
TEL | 02-2758-8008 |
営業時間 | 9:00~18:00 |
休み | 旧正月の大晦日~元日 |
アクセス | MRT「國父紀念館」駅徒歩3分くらい。出口3、4から出ると建物が見えます。 |
注意 | メモリアルホール内での会話は最低限に。そして脱帽が決まりです。 |
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