台湾(台北/台南/高雄)の観光旅行情報

台湾の歴史や文化

台湾の地域と歴史、様々な民族に支配された波乱万丈の変遷を辿る



台湾は東シナ海の南方にあり、面積は日本の九州と同じくらいです。

位置的には日本、中国そして近隣の東南アジア諸国を結ぶ拠点にあり、また歴史的には、東西の海上交易の中心地として重要な役割を果たしてきました。

台湾は「宝の島」と呼ばれるほど天然資源が豊かで、中央部に広がる険しい山地は美しい景観を造り出しています。

では台湾の地理的な特徴をご紹介し、波乱万丈の変遷を辿ってみましょう。


台湾の地域とその特徴

台湾は大きく分けると北部、中西部、南西部、東部、離島の5つの地域に分けられます。

この中で台湾の首都である台北は北部にあり、そこから中西部の台中を通って南西部にある高雄までの西海岸が台湾の経済の中心となっています。

東部には台東や花蓮などの主要都市があり、農業が発達したところですが、太平洋に面した海岸線の美しさでも知られています。

離島には中国すぐ近くにある金門島や海産物が多く取れる澎湖島などがありいずれも飛行機で1時間くらいで行ける所にあります。

高い山が連立した台湾中央部

台湾は九州ほどのサイズですが、決して広いとは言えないその土地に海抜3000m前後の山が200ほど連立するダイナミックな地形を形成しています。

これらの山の中で最も高いのは3952mを誇る玉山で、玉山一帯は国家公園に指定されています。山脈は西海岸と東海岸を完全に分ける形で台湾の中央部に集まっていますが、東寄りになっているため東海岸では平地が極端に少なくなっています。

ただ、東海岸ではその代りに素晴らしい山岳風景と太平洋の美しい海を楽しむことができます。

台湾と西洋社会との最初の接触

「台湾」という名前の由来は、台湾の少数民族であるシラヤ族が外来者や客人を「タイアン」と呼んでいたのが「ターヤン」になりやがて「タイワン」になったとされています。

台湾には長く漢民族と高山族が住んでいましたが16世紀になると、その頃世界の海に乗り出していたポルトガル人が立ち寄るようになり、西洋社会に知られるようになりました。

少数民族の高山族の祖先はマレー人とポリネシア人ですが、9つの民族からなっており、こうした民族はそれぞれ分裂して暮らしていたので台湾を統一することができませんでした。

オランダによる台湾の支配の始まり

17世紀に入ると、オランダが世界交易に進出しインドネシアのジャカルタに東インド会社を作りました。

オランダは更に勢力を伸ばすために、台湾の澎湖島に上陸しそこを占領し中心街だった馬公に要塞を築きました。その頃澎湖島は中国の明王朝に属していたため、明王朝は島の返還を求めてオランダに戦争を仕掛けました。

最終的には澎湖島をオランダに変換してもらう代わりに、明王朝は台湾をオランダに譲りました。実際には当時台湾はどこにも属していなかったのにも関わらず、澎湖島を取り戻すために明王朝が勝手にオランダに譲ったとされています。

オランダは台湾の台南に安平と呼ばれる要塞を築き、こうしてオランダによる台湾の支配が始まったのです。

中国の満州族によりオランダからの台湾支配終わる



オランダは、台湾を中国・日本との交易の拠点として利用しました。日本からは銀を、中国からは金、絹、陶器を買い入れインドネシアやオランダ本国に持ち帰り、反対に日本と中国へは台湾産の砂糖や鹿皮を輸出し、巨額の富を築きました。

そのころから台湾住民のオランダ人による支配への不満がつのるようになり、1652年には農民を中心とした一揆も起きましたが失敗に終わりました。

そうこうしているうちに中国大陸では満州族が勢力を伸ばし、ついに明王朝を倒し台湾にも侵攻してきました。

1662年当時満州族の長だった鄭成功がオランダを撃退し38年間続いたオランダの支配に終止符を打ったのです。

満州人支配により台湾が発展



鄭成功により、中国人の手に取り戻された台湾には、その後中国本土から多くの人が移住したため、鄭成功は田畑の管理など多くの改革を成し遂げ、現在の台湾の基礎を築きましたが、熱病に罹り39歳と言う若さで亡くなりました。

その後台湾では鄭成功の業績を讃え、孫文、蒋介石とならんで鄭成功を「三大英雄」の一人として尊敬し、毎年4月29日には「復台記念式典」が開かれています。

鄭成功がオランダを追い払った以降の台湾は鄭成功一族による様々な政策が取られ、台湾は発展していきました。

台湾の日本統治時代



台湾は日本と深い関係があると言われますが、それは台湾には日本軍による統治時代があったからです。

台湾の日本統治は「日清講和条約」により日清戦争で勝った日本に与えられたもので1895年から始まりました。統治が始まって間もないころは台湾人の反対にあい一揆が絶えませんでしたが、日本人はすべての反乱を鎮圧し、「アメとムチ」のやり方で学校を作り日本語を教え、道路などのインフラを整え町を開き台湾を統治していきました。

しかし、第2次世界大戦で日本が国共合作で日本と対戦していた中国に敗れると、台湾は再び中国に返還されました。

ところが、その後中国共産党と国民党の間で内戦が始まり、国民党が不利になると国民党を率いていた蒋介石が台湾に逃れ、それ以降台湾は中国とは決別し独自の政治体制の下で統治されるようになったのです。


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