台湾の中正紀念堂は台北中心街の南西にある紀念堂です。
台湾の初代総督であった蒋介石の功績を紀念して建てられたものです。
ここでは、中国で生まれた蒋介石がどのようにして台湾の初代総督になったのかその軌跡をたどることができます。
中正紀念堂は台湾の初代総督であった蒋介石の紀念堂です。
中正とは蒋介石の台湾名で、正式には蒋中正になります。中正紀念堂は、東京ドームのグランド面積の19倍にあたる25万㎡という広大な敷地の中央に建てられ、正門には「自由広場」の言葉が掲げられています。
敷地の右側にはオペラハウスがあり、左側にはコンサートホールがあります。紀念堂は高さが70mあり、屋根は紺色で建物の壁は白の大理石でできています。
紀念堂には89段の階段を登っていきますが、階段を上るのが大変な時はエレベーターが利用できます。
銅像の上の方には蒋介石の政治思想であった「倫理、民主、科学」の言葉が掲げられ、像の土台には蒋介石の遺言が刻まれています。
建物の内装はアメリカのリンカーン紀念堂を参考にして考案されたもので、壁に使われている材料の大理石はリンカーン紀念堂で使われているものと同じものをアメリカから取り寄せたそうです。
中正紀念堂の1階には資料館があります。ここに展示されている資料をみると、蒋介石の生涯だけでなく、当時の世界情勢や日本との関係などが良く理解できます。
例えば、中国が中日戦争に勝利した時の蒋介石の肉声や、負けた日本が南京で降伏状を中国側に手渡している写真、またプライベートなものとしては、日本の有馬温泉で結婚相手の宋美齢の母親に結婚の許しをもらったときの写真や、愛妻美齢のもっていたユニークな帽子の写真などが展示されています。
蒋介石は妻宋美齢をこよなく愛したと言われています。
中正紀念堂は、蒋介石が亡くなった翌年に着工し1980年に完成した建物です。
紀念堂の着工は蒋介石の90歳の誕生日にあたる1976年10月31日に始まり、一般に開放されたのが亡くなってから5年目にあたる1980年4月5日。そして紀念堂につながる階段の数は蒋介石の享年89歳に合わせ89段と凝っています。
中正紀念堂は、その後2007年に当時政権を握た民進党により、「台湾民主記念館」と改名されましたが、2009年、国民党が再び政権を取ると、またもとの中正紀念堂に戻されました。
蒋介石は、1887年に中国の奉化県で生まれました。1907年20歳になると日本に留学しそこで軍事を学びました。そして1910には孫文と出会い辛亥革命に参加することになります。
孫文によりモスクワに派遣されましたが、帰国後国民革命軍を作ります。当時中国は日本と抗争中であったため、孫文とともに毛沢東率いる中国共産党との国共合作で日本を打ち破り、台湾が中国に返還されます。
ところが今度は共産党との内戦が始まりそれに敗れると蒋介石は台湾に逃れ、1948年に台湾における中華民国として初代の総督に就任するのです。
台湾に移った蒋介石は、それまで台湾を統治していた日本の制度をことごとく変えようとしました。
大学で教えていた日本語を禁止し北京語に変え、また政治面では独裁的な手法を取っていきました。厳戒令を敷いたのもそのためで、これは40年間も続きました。このため市民の反感を買うことになり、その最も顕著な現れが「二・二・八事件」でした。
その一方で、蒋介石そして息子の蒋経国率いる国民党は、工業の発展や国際化に尽力したため、台湾は経済が発展し市民の生活水準が上がり、今日のような先進国の仲間入りを果たしているのです。
住所 | 台北市中山南路21号 |
TEL | 02-2343-1100 |
営業時間 | ・紀念堂 9:00〜18:00 ・公園 5:00〜24:00 |
休み | なし |
アクセス | MRT中正紀念堂駅から徒歩すぐ |
注意 | 中正紀念堂内では飲食禁止、そして帽子は必ず脱ぎましょう |