台湾(台北/台南/高雄)の観光旅行情報

淡水ー台湾の歴史ー

台北近郊の淡水、国際的な港町から西洋文化が残る観光スポットへ

台北の淡水は台北のすぐ北、台北MRT淡水信義線で40分で行ける所にあります。

台湾最北の港として栄えたところで、17世紀以降、台湾の西洋との接点として西洋文化の影響も受けてきました。中国文化と西洋文化が入り混じる情緒あふれる町、それが淡水です。

淡水観光の見所やポイント

西洋人が築いた歴史の長い「紅毛城」

淡水・紅毛城

淡水の紅毛城(フォンマオチョン)は淡水駅から中正路を西に20分歩いた所にあります。1629年にスペイン人が建てた城で、その頃は「サン・ドミンゴ城」と呼ばれていました。

その後オランダ人によって改築され、更にはイギリス人の領事館として使われました。1980年に台湾に引き渡されるまで、西洋文化を象徴する建物として知られてきました。

赤レンガでできたこの城からは対岸の風景や台湾海峡などが遠望でき、城の周りには美しい庭園が整備されています。ゆっくりとした時間を過ごすのには最適なところです。

淡水で夕日鑑賞なら魚人埠頭

淡水で夕日

魚人碼頭(ユィレンマトウ)は、淡水河河口の右岸に作られた漁港です。

この漁港一帯は公園になっていて桟橋から突き出るようにして掛けられた「情人橋」が人気です。

特に夕暮れ時が最も美しく、この頃になると若いカップルや家族連れでにぎわいます。

また桟橋の下にはカフェや土産屋があるので、休憩したり買い物を楽しんだりできます。

淡水の対岸の八里との間にはクルーズ船が行き来しており、それに乗ると淡水河の両岸の風景が一望できます。

淡水河に沿って淡水老街を楽しもう

淡水老街

淡水老街は 淡水河に沿った環河道路と中正路の一部のエリアのことです。

ここには連日様々な屋台が並びます。特に淡水名物である、「鉄卵」、巨大ソフトクリームやイカ焼きは見逃せません。

また老街の中央から少し西側には埠頭があり、ここからは対岸の八里に行く船も出ていて、クルーズが楽しめます。

淡水の環河道路はサイクリングに最高

淡水

淡水の淡水河に沿った環河道路は美しい川の風景が続くのでサイクリングに最適です。

最近ブームになっている自転車シェアリングがここにも上陸し、目指すところに自転車置き場があれば、そこで乗り捨ても可能です。

サイクリングは淡水だけでなく、フェリーに自転車を乗せ、対岸の八里に渡れば、八里の老街も自転車で廻ることができます。

淡水の歴史や背景

スペイン、オランダ、イギリスの支配下に置かれた淡水

淡水は貿易港として栄えた町です。17世紀に世界を股に掛けて交易を行っていたスペインやオランダが中国との交易のために利用した所が淡水でした。

そしてスポットの紹介のところでも触れましたが、その頃にスペイン人によって建てられたのが紅毛城でした。スペインやオランダが撤退すると、次に覇権を握ったのがイギリスで、中国(清国)と通商条約を結び、淡水を含む台湾の4つの港が開港されました。

淡水はイギリスの租借地となり紅毛城はイギリスの領事館として使われました。

淡水、港町から観光スポットへ

19世紀に国際的な港として栄えた淡水ですが、20世紀の初頭になると、河口に砂が堆積するようになり大きな船の出入りが難しくなってしまいました。そのため、当時台湾を統治していた日本の台湾総督府は、主要港としての役割を基隆に移しました。

それ以来港町としてのにぎやかさは失われましたが、淡水は今では観光の町に成長し、西洋文化を残す台湾の観光スポットとして人気を呼ぶようになりました。

台湾の画風に影響を与えた木下静涯

木下静涯は長野県出身の京都派の画家で、淡水に長く住んでいました。本来は1918年に中国本土に写生旅行に行くことになっていたのですが、その途中で台湾に住む友人を訪問した際に、その友人が病気になり看病をかねて淡水に滞在することになったのです。折しも1927年には台湾で「台湾美術展覧会」が創設され、それを機に木下静涯は台湾の美術発展に貢献しました。淡水にある木下静涯の旧居は今では整備され「木下静涯記念公園」として一般に開放され、彼の住んが家は歴史的建造物に指定されています。この公園にある石碑には、木下が好んだ言葉「好日好日又好日」の文字が刻まれています。

淡水へのアクセス情報

アクセス台北駅から台北MRT淡水信義線で約40分

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